胎児死産のための棺つくります

21週で死産した悲しみから、優しいママと天使のために棺とお布団を手作りしています。

退院前検診

妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。


この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。


悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。


朝9時過ぎ、病室がノックされました。


「検診になりますから、お願いします。」


なんだかせかせかとした看護師さんが呼びに来ました。


「支度をして、座ってくださいね。検診です。」


なんだか急がされて、検診台に座りました。


医師が「どうですか?ちょっと診ますね。」と言いながら、検診が始まりました。


検診が終わり、医師の話を聞きます。


気のせいか、柱と壁が邪魔をして医師が見えないようになっていました。


まあ、お互いに顔を合わせたくもないよね。


「ご希望通り、今日の退院でいいんですが、次の検診は1か月後になりますが25日でいいですかね。」


医師が聞きました。


私は、毎日仕事をしているわけではなく曜日で仕事をする日を決めているので「何曜日ですか?」質問しました。


看護師さんが慌ててカレンダーを見ました。


この人たちは、私が毎日暇で、いつでも来れると思っているんだろうな。


そんなおかしなことを考えてしまいました。


医師も、病院も看護師も、ここにいるすべての人を恨んでいました。


本当に恨むべきは、「千惺(ちさと)」を中絶すると決めた私なのに。


何もかもが許せなくて、私がいなくなればどれだけ楽になるか・・・。


苦しい気持ちで病室へもどりました。

死産届け

妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。


この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。


悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。


朝、看護師さんが死産届けを持ってきました。


「これを市役所に持って行って、火葬の予約をとってきてください。」


火葬許可証を病院に提出したら、退院となるようです。


「死産届け」を見ると、死産の理由は


多産であり、経済的な理由があるため


と書かれていました。


こんなのを役所の人が見たらどう思うんだろう。


そんなどうでもいい、私の知らない人だけど、そんな人にでさえ私は言い訳したかった。


「違う、私は望んで子どもを殺したんじゃない。」


でもそんな言い訳したって、同じ。


病気が理由だとしても、病気を理由に、私は子どもの命を絶ったのだから。


殺したのは同じじゃないか。


経済的理由で育てられないというよりも、本当は育てられるのに「病気だから中絶した」そのほうが、罪なのではないだろうか。


悲しくて、悲しくて「死産届け」を前に、自分が生きていることに耐えられなくなりました。

出産後、最初の夜②

妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。



この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。


悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。


夜、電気を消しましたが眠れるわけもなく、ずっと「千惺(ちさと)」を見ていました。


不思議と涙は止まらないのです。


どれだけ流しても、流してもあとからあとから、ずっと出てきます。


暗い中、目を開けてベッドの上でごろごろしていると赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。


「きっとあの子のママは、出産後、眠れない夜を過ごしているんだろうな。赤ちゃん、泣いて困っているかな。」


そう思いながらも、


「でもいいよね、あなたの赤ちゃんは生きているんだから。」


そんな、ひどいことを考えました。


出産後、疲れた体なのに、赤ちゃんは数時間おきに泣いて、そのたびにおっぱいを飲ませて、ミルクを作って、もうへとへと・・・。


もう、いい加減にしてよ。なんで泣いてるの。


今この状況で、それさえも幸せなことなんだとわかりました。


赤ちゃんが泣いて、眠れなくてイライラするそんな日でも、赤ちゃんが生きているだけで、産まれてきて、お母さんを必要としてくれている、それが、どれだけ幸せか。


初めて知りました。


きっと4人の子どもを連れて歩いている私や、妊娠中の私の姿を見て、今の私のように、悲しい思いをしていた、優しい天使赤ちゃんのママがいたんだろうな。


知らなかった。


子どもを失うことが、どれだけ苦しいことなのかを。


4人の子どもを産んで、育ててきたからこそ、よりわかるんです。


産後うつも経験しました。


でも子どもの成長が、私に幸せを与えてくれることを知っています。


だからこそ、余計に「千惺(ちさと)」の命を奪った自分を許すことができないのです。


そんなことを思い、泣きながら夜を過ごしました。