火葬前夜
妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。
この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。
悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。
子どもたちが全員寝た後「千惺(ちさと)」が入っている棺をそばにおいて「千惺(ちさと)」とお話しました。
「千惺(ちさと)」を棺から出して、何度も抱っこしました。
何度も、あやまりました。
その体は、とっても冷たかった。
冷蔵庫に入れていたのかと思うほど。
人って死んだら、こんなにも冷たくなるんだと、初めて知りました。
そして見たくなかった背中を見ました。
生まれたばかりの時にあった赤黒い袋は、縮んでいました。
そして「千惺(ちさと)」も、だんだん黒くなってきていました。
棺の中に、「千惺(ちさと)」の姿が変わらないようにたくさん保冷剤を入れました。
でも生きていないということは、残酷です。
死体は、刻一刻とその姿を変えていきます。
「千惺(ちさと)」の背中を見て、涙を流して謝りました。
「ごめん。ごめんね。許して。」
本当に許してほしかった。
もういいよって誰かに言ってほしかった。
でも、誰も許してくれませんでした。
一番許さないのは、私自身です。
本当は、「千惺(ちさと)」は生きられたのかもしれない。
生まれた時のことなんてわからないのに、どうしてここで命を絶ったのだろう。
あんな黒いエコー写真だけで、何がわかるんだろう。
確かに、頭は真っ暗で脳がほとんど見えなかった。
でも、もしかすると、どうにかなったのかも。
寝たきりでもよかった。
自分で息もできない、目も開けられない、何もしなければそのまま息絶えてしまう。
そんなこと、生まれてみないとわからなかった。
生きていたら、もしかしたら・・・。
そんな「もしかしたら」の希望までも、私は絶ってしまったのだ。
簡単に、こんなにも簡単に奇形ということを理由に、私が「千惺(ちさと)」の命を奪っていいわけがなかった。
「千惺(ちさと)」が、選ぶべきだった。
このまま妊娠を継続することが、私の身体を危険にさらすことがあったとしても、この小さな命は守らなければならなかった。
私は、私を一生許さない。
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