火葬前日
妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。
この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。
悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。
退院して、家に戻ってきました。
「千惺(ちさと)」をキッチンのカウンターに置きました。
ここだと、少し高い場所になってリビングを見渡せるので。
学校から帰ってきた子どもたちが、私がいるのを見て喜んでくれました。
子どもが、私の存在を見て喜んでくれている。
それだけでうれしかった。
私が、こんな私でも生きていてもいいのだと感じられたから。
私を必要としてくれている。
それだけで、私なんかが生きていてもいいのだと思うことができました。
でも子どもたちがみんな帰ってきて、喧嘩を始めたり、騒がしくしたり。
だんだんと耐えられなくなり、なんで今日退院したんだろう。もう少し入院しておけばよかった。
そんなふうに思いました。
いつもと同じ風景が、私には耐えられませんでした。
入院の前と同じ風景なのに、私のお腹の中には「千惺(ちさと)」はいません。
死んでいるんですから。
心が整理されないまま、悲しいのに悲しみに蓋をして笑顔で子どもたちと過ごさなければならない苦痛。
そんな思いに押しつぶされそうになり、1人になりたかった。
別の部屋に行って、涙を流しました。
涙は、どれだけ流しても止まることはないのです。
悲しみが消えるまで、すべての悲しみを流すまで出続けるようです。
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