胎児死産のための棺つくります

21週で死産した悲しみから、優しいママと天使のために棺とお布団を手作りしています。

1か月検診④

妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。


この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。


悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。


受付のほうから、看護師さんが1人待合室をのぞきました。


入院の初日にお世話になった看護師さんでした。


そして、手招きをして中へ入るように言いました。


「少し、話しません?」


私は、はっきり言いました。


「もう、いいです。」


でも看護師さんが「少しだけ、少し話しましょう。」


仕方なく、招かれるままに部屋へ入りました。


「どうですか?その後。」


2番目の子どもも一緒にいたので、ちらりと2番目を見ました。


2番目の子どもは気を遣ってか、体調が悪いせいか聞こえないふりをしていました。


答えるまえに、私の目からは涙があふれ、何も言えません。


そして必死に「仕方、仕方なかったんですよね・・・」


それだけ言いました。


まだ若い、子どももいないような看護師さんに話す気持ちにもならなかった。


きっと同じ思いをしている人以外に、私は心を開こうとはしないでしょう。


私は言いました。


「急に決まって、何も考える時間もなくてこんなことになって、納得いかないんです。」


看護師さんは言いました。


「そこですよね。」


でも私は心を開けませんでした。


だって、彼女は私と同じ経験をしてないのですから。


何がわかるのでしょう。


仕方がないという理由で、自分で自分の子どもを殺す苦しみを。


この看護師さんとは、結局ほとんど話さないまま。


本当は、私はこの悲しみ、苦しみを誰かに話したいのです。


誰かにわかってほしい、誰かに慰めてほしい、誰かに癒してほしい。


でも、同じような経験をしていない人に話す気にはならないのです。


経験していない人には、わからない。


死産する前の私がそうだったのですから。


それよりも何よりも、私が「千惺(ちさと)」の死を受けいれることができていないのです。

1か月検診③

妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。


この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。


悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。


検診が終わって、診察室から出てくると、事務の人が言いました。


「今日、母子手帳と妊婦検診のチケット持ってます?」


イラっとしました。


もうお腹に子どもがいないのに、「母子手帳」「妊婦検診チケット」なんて持ってくる気も起こらないんですけど。


身勝手な感情を抑えて「すみません。忘れちゃって。」あやまりました。


「持っていたら、今日の検診も無料になったんですけど。ご用意しますので、血圧と体重はかって、採尿して出してください。」


それって検診前にすることじゃないの?再び苛立ちながら、言われるままにしました。


妊婦さんたちと同じ待合で待たされるだけでも、私の精神状態はおかしくなるほどなのに。


お金なんて払うから、はやく帰らせてほしい。


そんな気持ちで、大勢の妊婦さんたちと一緒に同じ待合で待ちました。


何度も、何度も苦しくなって、大きく深呼吸をしました。


手先が冷たくなるのを感じて、何度も手を握ったり開いたりして必死で落ち着こうとしました。


隣の妊婦さんが、うらやましかった。


私のお腹に赤ちゃんがいないことが、涙が出るほど悔しかった。


ここは、なんて残酷な場所なんでしょう。


私が、いったいどんな悪いことをしたのでしょう。


これは、何かの罰なのでしょうか。


そんなことを考えながら、必死にこの時が過ぎるのを待ちました。

1か月検診②

妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。


この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。


悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。


中絶した病院は、自宅から歩いて5分ほど。


毎日のように、車で前を通ります。


本当は行きたくもなかったのですが、1か月検診の今日はどうしても行かなくてはなりません。


考えただけでも、手先が冷たくなり動悸がするのです。


朝、2番目の子どもが「おなかが痛い。」と言って、下痢。


こんな日に限ってと思いながらも、ひどくなってもかわいそうなので休ませました。


2番目も一緒に病院へ行くことにしました。


1人で行くよりも、まし。


いよいよ検診。


名前が呼ばれ、診察室に入りました。


担当の医師が私をみながら「あ、どうかな。その後。うん。」


周りから気を遣われるのも嫌でした。


「大丈夫です。」そう答えました。


「じゃ、内診しましょうか。」


診察台に上がり、診察が終わり、再び診察室へ。


医師「もう、子宮もきれいになっているし、卵巣も腫れてないのでもう大丈夫ですよ。」


何が大丈夫なのでしょう。


続けて医師が言いました。


「どうします?次もがんばる?」


がんばるとは次の子どもをつくるかどうかということです。


きっと、みんなに聞く決まった質問なのでしょう。


私は言いました。


「もう、いいです。」


医師は苦笑しながら「まあ、次もがんばるなら、次の生理を待って、それからがんばってみましょうか。」


もう1人なんて、無理でしょう。


「先生もわかってますよね。私、41歳ですよ。次なんてないんです。」そう言いたかった。


次の可能性がまだあるのなら、ここまで悲しくなかったのかもしれません。


また次もあるからと、あきらめられたかもしれません。


それはなく「千惺(ちさと)」は「千惺(ちさと)」なので、罪悪感から逃れられないのですが・・・


「次もまた同じ病気だったらどうするんですか?」聞きたかった。


次もまた同じ病気なら、中絶するんですか?


奇形なら、その命を絶ってもいいのでしょうか。


医師にとっては簡単なことかもしれませんが、母である私には無理です。


医師が「何か質問あります?」と聞きました。


「ありません。」


そう答えるしかありませんでした。


もう、次もなく、これからもなく、後にももどることもできず、「千惺(ちさと)」が死んだことは、何も変わらないのですから。


そしてこれ以上、小さな命を絶つことはしてはならないのです。