妊娠21週で胎児奇形のために中期中絶しました。
この悲しみと罪悪感は消えることはなく、心に重くのしかかってきます。
悲しみと向き合い「生きる」ことに前向きになるために綴っています。
受付のほうから、看護師さんが1人待合室をのぞきました。
入院の初日にお世話になった看護師さんでした。
そして、手招きをして中へ入るように言いました。
「少し、話しません?」
私は、はっきり言いました。
「もう、いいです。」
でも看護師さんが「少しだけ、少し話しましょう。」
仕方なく、招かれるままに部屋へ入りました。
「どうですか?その後。」
2番目の子どもも一緒にいたので、ちらりと2番目を見ました。
2番目の子どもは気を遣ってか、体調が悪いせいか聞こえないふりをしていました。
答えるまえに、私の目からは涙があふれ、何も言えません。
そして必死に「仕方、仕方なかったんですよね・・・」
それだけ言いました。
まだ若い、子どももいないような看護師さんに話す気持ちにもならなかった。
きっと同じ思いをしている人以外に、私は心を開こうとはしないでしょう。
私は言いました。
「急に決まって、何も考える時間もなくてこんなことになって、納得いかないんです。」
看護師さんは言いました。
「そこですよね。」
でも私は心を開けませんでした。
だって、彼女は私と同じ経験をしてないのですから。
何がわかるのでしょう。
仕方がないという理由で、自分で自分の子どもを殺す苦しみを。
この看護師さんとは、結局ほとんど話さないまま。
本当は、私はこの悲しみ、苦しみを誰かに話したいのです。
誰かにわかってほしい、誰かに慰めてほしい、誰かに癒してほしい。
でも、同じような経験をしていない人に話す気にはならないのです。
経験していない人には、わからない。
死産する前の私がそうだったのですから。
それよりも何よりも、私が「千惺(ちさと)」の死を受けいれることができていないのです。